おいでませ柳井へ 柳井市観光協会
〒742-0021 山口県柳井市柳井3714-1
TEL:0820-23-3655 FAX:0820-23-5411
メールアイコン
柳井の魅力 柳井の特産品 柳井へのアクセス イベントカレンダー モデルコース
にっぽん晴れ街道 やまぐち地ブログ
食べる 遊ぶ 観る 買う 泊まる

HOME > 旬情報

柳井市観光協会からのお知らせ

源平合戦ゆかりの地

柳井市阿月には源平合戦にまつわる地が残されてます。
  ちょっと足を止めて 歴史探訪してみませんか。

勝負ヶ迫

現在の阿月変電所付近一帯で勝負を決した大合戦があったといわれています。

この戦いで敗れた平家は、皇座山の裾野を超えて、相浦と池ノ浦の二手に分かれ、落ちのびたと伝わっています。

近くには「袖解(そでとき)」という場所があり、平家の武将らが鎧や兜など武具を脱いだ場所といわれています。周辺からは刀剣や鎧かぶとが出土したと伝承が残っています。

★勝負ヶ迫への行き方…県道72号線沿いの民宿「憩」となりの小道を直進。

 

 

陣屋跡

与浦遺跡(※)の近くに平家の陣屋跡が残っています。

当時は深い入り江の奥で、丘陵の間に挟まれて海から見えにくく、船団を停泊させるのに好都合な地形でした。また、波風を防ぐ格好の場所でもありました。

※与浦遺跡…1971(昭和46)年に発見された、標高0m以下に遺物包層を持つ海岸遺跡(海底遺跡)。

★陣屋跡への行き方…県道72号線沿い「与浦遺跡」の目印を直進。

現地入口にはイノシシ除けの柵がありますが、中に入ることができます。柵を止めている紐を外したら、必ず元に戻してください。通り道にはイノシシ用の罠がありますので足元にはご注意ください。

ひとつめの分岐点を直進、ふたつめの分岐点を左折してください。

入口から徒歩約3分。源平合戦ゆかりの地の看板が目印です。

 

 

門脇家の石塀

※こちらには看板を設置しておりません。

門脇家は、平清盛の弟平教盛(門脇中納言)の孫門脇教長の末裔といわれています。高い石塀を巡らせた屋敷の名残をとどめています。宅地の南側と西側にL字状に高い石塀を残しとどめています。3段に築かれた石塀は、門脇家以外には見られません。

門脇教長は、周防国合戦に敗れて、皇座山の山中に逃れました。平家落ち武者の追跡がゆるやかになった鎌倉時代半ばに、その末裔が現在の相の浦集落のある谷に居を構えたのではないかといわれています。

 

池浦神社(平家神社)

池の浦の合戦後、池も埋まり荒れ地のままになっていたので、領主の浦元敏が領民に耕作させたものの五穀が実らず、しかも数々の怪異が起こったため、怨霊のしわざと考え、地中に埋もれていた刀剣・矢じりなどを掘り出し、それをご神体として祀り平家大明神と称しました。これは1726(享保11)年のことです。その後は怪異が止み五穀も実るようになりました。

平家大明神は1871(明治4)年に祭神を安徳天皇とし、池浦神社と改めました。

 

池田家

池田家は、安徳天皇を祀る平家神社の守護役を務めています。

また、平家ゆかりの池田家は、屋敷の周囲を堅固な高い石塀で囲んでいます。

池田家の庭には、県の天然記念物に指定された連理カエデがありました。枝に著しい数の連理(癒着したからみあい)をもつカエデの大木でしたが、1994(平成6)年に枯死し、指定解除となりました。

 

 

 

その他、ゆかりの地

池の浦の古戦場跡

屋島の合戦に敗れた平家の群勢の一部が室津半島にたてこもり、激しく戦ったという古戦場が池の浦にあります。

「防長風土注進案」には、平家の軍船が池の浦の松原あたりで大きな潟を見つけ、天の助けとばかり軍船を漕ぎ入れたものの、かもめに導かれた源氏によって見つかり、池の浦の江の口で激しい合戦が始まり、平家方が敗れました。

池の浦の合戦以来、このとき鳴いた鳥は「平家だおし」と呼ばれ、平家滅亡の命日になると、平家の恨みをこめて「こーい、こーい」と悲しく鳴いて空を渡るとされています。

 

平家坂

池の浦の合戦で敗れた平家の将兵が、この急斜面をよじ登って、大津方面(現上関町)へ逃げのびたといわれています。

大津には、平家の将兵を供養する平家塚が残っています。

 

 

源平合戦ゆかりの地マップ

※バス便には変動があります。詳しくは防長交通(0820-56-5100)へお尋ねください。

 

参考資料 柳井にっぽん晴れ街道